「犯罪被害者をどう守るのか」「犯罪被害者、保障はどうするのか」「罪の意味」を視聴して
206qa90 江夏 泰二郎

犯罪被害者はなぜ守られないか

【導入】犯罪被害者はなぜ守られないか。犯罪被害者基本法ができるまでの流れと、犯罪被害者基本法に触れこれまでの歴史を振り返りNHKスペシャル「犯罪被害者をどう守るのか」放映日平成2年12月22日とNHKクローズアップ現代「犯罪被害者、保障はどうするのか」と本日配布プリント「犯罪被害者基本法とは・・」をあわせて検証・考察する。
【検証】全体を通して言えることだが、インタビューを受けた被害者は皆涙を流す。犯罪被害者の例として授業内視聴のビデオより事例を挙げ、その流れを追い事例研究の題材とし検証・考察を加えたいと思う。 

事例1:兵庫県の男性の被害者、遺族は、弁護士も参加した兵庫県被害者支援センターにて「被害者は苦しみ続けている。この集まりでしかいえないことがある」と涙ながらに語っている。また全国犯罪者被害者の会 第4回大会で公演し、「傍聴席で黙ってみているしかない。」加害者は裁判の中で暴行は認めるが、殺意は否定した。」この時、明らかな怒りを感じたが、遺族は傍聴席にまでしか立ち入ることができず何もいうことができなかった。犯罪被害者基本保護法策定後も事実は厳しく、被害者は裁判で一言ものを申し出られるぐらいである。では、警察の捜査は何のためにあるのか?それは過去の判決にもあるように、「捜査は社会の秩序を守るためであり、被害者のためではない」としている。以下の事例3の遺族の話では被害者保護法施行後も「人間の尊厳に関わる部分には何の変更も、改善もない」とインタビューの中で述べている。

事例2:ガソリンをかけられ火をつけられた女性。加害者は謝りもせず、保証金も払っていない。しかし、被害者は苦しみ続けている。後に福岡で開かれた会合で「車の中で火をつけられた。同僚の女性と食事に行って、その後日であった男に襲われ
90%の火傷を負いその後4ヶ月間集中治療室で治療を続け、9年間もの間皮膚移植を繰り返してきた。2年前に加害者が出所した話を聞いたが、日本では加害者に治療費を請求するためには、民事裁判を起こす必要がある。」と涙ながらに語った。病院は加害者には治療費を請求せず、被害者に請求した。それもかなりの額で被害者には大きな負担となった。

事例3:中学校を卒業し、その後農業高校に進み昔の仲間から暴行を受け、死亡した例。遺族は高橋由美子さん。息子を高校生たちに殺された。高校で農業を学んでいた。帰省中、呼び出された。鉄パイプで殴られ、バイクで轢かれた。翌朝意識不明。一週間後、少年たちは逮捕された。2日後に被害者は死亡した。被害者の遺族は、その加害者に関する情報などの不透明性から、周囲で「被害者自身が、非行グループにおり、その仲間内での揉め事だ」「非行グループだから殺されたのだろう」といった中傷に悩まされた。その後、被害者の遺族は加害者たちに対して民事での裁判を起こした。裁判の中で加害者たちの言い分や、その時の状況が明らかになっていった。加害者は「被害者に暴行を加える理由は何もなかった。また、警察に捕まるのを恐れ、救急車を呼ぶことはしなかった」と証言した。
この後、2000年「犯罪被害者保護関連法の設立により」加害者の情報は一部公開されるようになった。

事例4:岡村勲さんは全国犯罪被害者の会に属している弁護士であるが、実は、自身も数年前に妻を宅配を装い押し入ってきた男に刺されて、亡くなっている。原因は岡村さんが代理を勤める証券会社へ対する暴力団の脅しでもあった。しかし裁判では加害者は「いきなり女性が体当たりしてきた。精神状態がおかしかったのだろう」と証言した。岡村さんはこのときの悔しさから、自身も司法に長年携わってきた身であるが、初めて被害者の気持ちが分かったという。また社会を変える必要性があると感じたのもこの時である。以降、国に働きかけ犯罪被害者制度案の成立に関与し、被害者の医療費の免除等を訴えた。しかしこれには反論もあり、加害者の責任を薄めることになるのではないか、犯罪にあっただけで医療費免除というのはいかがなものか、といったものであった。結果医療費の免除は認められなかったが、給付金の拡大という結果を得ることはできた。欧米では犯罪被害者への配慮が日本と比較して手厚いがそれは40年前「国は国民の生活を守る義務がある」とされそのため保障が行き届いているのである。

今日、凶悪犯罪は増加し続けている。息子を殺された母は、被害者側は、裁判に出席できず、「加害者側の関係者しか出席できない」ともらす。加害者は裁判後どこに行ったのかも分からない。

日本では被害者が裁判に参加できず、またそのため反論もできず傍聴席にいるだけである。反論も全くできず、傷つけられただけで終わる。不況に伴い犯罪が増加する昨今では誰が犯罪の被害者になるか分からない。その対策を講じることが必要不可欠である。

事例5:NHKクローズアップ現代「犯罪被害者 保障はどうするのか」では一家の主が突然襲われ、収入がなくなり、先の見通しが立たなくなったりして経済的困窮に陥る例についての討議が、常磐大学理事長 諸澤 英道先生を迎えて行われている。1日多くのの犯罪被害者が亡くなっている実態や、被害者の遺族が経済的な困窮に陥ってもあまり有効な手立てはなく、民事裁判を起こしたとしても、その7割は犯罪者が経済的保障をしないとのことであった。国から見舞金としての保証金ではとても以前の生活を維持して行くことはできない。番組中のケースでは、商店に外国人が押し入ってきて、51歳の、経営者が襲われ亡くなったというものであった。その後一家の暮らしは苦しさを増し残された3人の子供の教育費の負担も重くのしかかり、店を再開しても「殺人事件があった店」とのイメージがあり、売り上げは客離れにより以前の半分にまで落ち込んだ。国から支払われる給付金を申請し、547万円が支払われた。しかし葬儀代金と店の修理代を含めてそれにも満たない金額でしかなかった。一家は日々これからどうして行くか考えたが、しかし民事裁判を起こすには費用が数百万かかること、加害者は37万のお金に困り強盗に押し入ったのだからその加害者にどうして請求ができようかと考え、加害者の親に保証金の申し出の手紙を出すが、何の連絡もなかった。裁判官に加害者に賠償金を払ってもらえないかとの手紙を出すが、裁判では、加害者に無期懲役の判決が出され、賠償金には何も触れられなかった。家族いわく「殺され損だった」とのこと。常磐大学理事長 諸澤 英道先生は最後に以下のように付け加えた。「犯罪にあって被害者は心身的に多大な被害をこうむっても被害者が泣き寝入りするケースが多い。また国からの給付金は平均460万ほどこれだけではなかなかだ。怪我の場合、金銭的な保障は殆どなくその後障害が残ったりして苦痛をこうむる。」昨今被害者の意見によって犯罪被害基本法が成立されその中に明記されている犯罪被害者の尊厳を後ろ盾とし被害者たちが今までいえなかった声を上げ始めている。

事例6:数年前に下関駅に車が突っ込み下りてきた男によって数名が死傷した事件。生き残った被害者の一人の男性は、今でも治療が続いており、その費用は自分で負担している。加害者は払えないとのことだった。

この事件では経済的な補償を受けた人とそうでない人がいた分かれ目は、車によって轢かれたか、そうでないかである。車に轢かれた場合、車にかかっている自賠責保険によって、治療費が支払われたが、そうでない人には支払いはなかった。理不尽であるがそれが事実であった。そのため被害者達は民事での訴訟を起こし、加害者の家族に支払いを希望したが、一審での判決は「被告本人にのみ賠償責任がある」とされ賠償金は支払われなかった。事件から数年経っても被害者、被害者の遺族の苦しみは続いている。給付金は遺族にとって十分でないのが今の現実である。海外の例を見てみるとどうだろうか。ヨーロッパ、特にドイツ犯罪被害者にとって優遇されている国といえる。ヨーロッパの裁判制度では被告人と被害者が対立しても混乱はなく警察が十分な警備状態を強いている。またドイツの場合、犯罪被害者が裁判に同席することができ、検察官の横に座り、同じように自由に発言ができる。日本とは対照的であり、ドイツでは刑事裁判の中で、損害賠償を請求できるまた、弁護士を雇う資金を支援する。また被害者への警備も十分である。国の責任として保障し、年金まで保証する。日本国も、ヨーロッパの例を参考にし始めている。以前は被害者は証拠品であった。しかしそういった態度は改める必要がある。そのためにはヨーロッパの例の導入は必要である。犯罪被害者達は口をそろえていう「きちんとした法制度があれば・・」
【考察】犯罪被害者、犯罪被害者保護法について今回学んだが、非常に意義のあることだったのではないかと思う。というのも私たちも「対岸の火事」ではないからだ。どういうことかというと、自分もいつ事件に巻き込まれるか分からないような世の中になったからだ。経済状態を見ると、日経平均株価は現在2008年11月6日現在、バブル崩壊後の最安値とほぼ変わらない。貿易黒字は昨年度より大幅縮小。経済的な格差は80年代と異なりランク的にも高い位置にある。繰り返す首相の交代。自殺者の数は3万人を上回って10年経つ。児童虐待数の相談件数は4万件を突破している。警官自信による汚職。公務員による組織がかりでの汚職。犯罪に結びつくようなネガティブな要因あげればいろいろな分野できりがないほどかもしれない。財産的被害は取り返しがつくが、生命、身体への被害は取り返しがつかない。そのため、犯罪被害者への経済的な措置に関しては後回しにされているのかもしれない。経済的な措置として罰金を犯罪被害者優先で使うといった対策もある。元々、犯罪被害者への給付金制度自体は昭和49年丸の内ビル爆破事件に端を発している。それまではこういった遺族への保障は一切なかった。その経緯を考えるとこれから犯罪被害者への保障の充実に向けての法の変更・整備は市民の働きかけで実現して行くことは十分に考えられることである。誰が犯罪被害者になるか分からない今、私達1人1人の意識が大事であろう。引用:2008年11月6日配布プリント

罪の意味

−「罪の意味」少年Aの仮退院と被害者家族の7年を視聴して−

【導入】今回視聴した「罪の意味」フジテレビ製作:放映日2005130日においてテーマとされているのは、1997年兵庫県神戸市で発生した事件から7年経って加害者、被害者のその後の足取り、又それぞれの意識の変化である。ここで最も印象に残っているのは事件当初と同じく、被害者側のインタビューや情報は豊富にあるが、加害者側の情報は非常に少ないということである。おそらく全体を通しての番組への露出に関しても被害者を8,9割とすると、加害者側の露出は12割しかないであろう。しかしこれは番組制作側の意図では決してない。そこには以降に触れる「少年法」による影響があるのである。

 そして加害者側の実態、被害者側の実態インタビューから読み取られる意識に関して、松本オウム・サリン事件で被害者であるのにも関わらず容疑者扱いされた河野 義行氏とジャーナリストである吉岡 忍氏の考察を加えて番組は構成されている。

【内容】犯罪は起こったときに1次的に被害が及ぼされるが被害者もしくは遺族のその後の戦いという2次的な被害もある。犯罪が起こるとまず加害者側にマスコミは殺到するが、同時に被害者側にも殺到する。また被害者はその後世間のうわさや、裁判において精神的な苦痛を受ける事になる。これが、2時被害である。その2時被害は事件が特殊であればあるほどまた、凶悪であるほど大きくなる。例えば何か事件が起こるとする。今回は少年犯罪についてだが、マスコミの報道はどうだろうか。加害者の顔写真は出なくても、被害者の情報には事欠かない。その影には過剰な報道に苦しむ被害者の存在、少年法に守られる加害者の存在がある。また被害者の家族は事件の詳細を知りたくても少年法の壁がそこにはあり、何も知ることはできない。被害者の家族兄サトシさんは冒頭で「相手側(加害者側)はのうのうと生きて、社会的に保護されている。法律は正義ではない」と語っている。加害者は当時中学3年生であった。事件後、関東医療少年院に入院している。これまで多く語られてきた神戸連続児童殺傷事件だが、今回の番組では類型化された加害者像、被害者増像について兄サトシさんと父マモルさんが語ったもう1つの真実が語られている。被害者の兄サトシさんは7年たった今でも夜寝ようとすると事件のことを思い出すという。2005年番組放映時に20歳だったサトシさんが語った真実である。事件当日1997524日は弟が祖父の家に行くといって出て行った。その日心配し探したが見つからなかった。3日後の527日朝登校しようとすると父が今日は登校しなくても良いと言ったという。サトシさんは何かあるなと思ったという。悪い予感は的中し自身が通う中学校の校門前で淳君の頭部のみが見つかる。体は事件で有名になった「タンク山」に遺棄されていた。当時警察による事情聴取に対して母、兄は口を聞ける状態ではなかったという。しばらく経って話し出しても話はとぎれとぎれであった。被害者の父はインタビューの中で「事件は映画の中のワンシーンのようだった。とても現実のものとは思えなかった。」と語っている。その後、警察により犯人は神戸市須磨区在住の14歳の少年Aであるという事だけが発表された。その後、加害者は少年法に沿って社会から隔離され、皮肉にもそれとは対照的に被害者の家族に対する報道は加熱して行く。

 家に帰るたびに待ち構えている報道陣。そして当時住んでいた住居の前からあからさまに除くカメラ。被害者の父は「なぜ被害者がここまでされるのかと思った」という。兄サトシさんは、当時のことは7年経ってもうまく思い出せない。ただつらかったと話している。少年Aが奪ったのは淳君の命だけではない。加害者の精神面での鑑定、サポートは神戸大学児童精神科医田中 究医師によって行われている。加害者には反社会性が見られ性的サティズムがあるとされている。事件が起こってから学校に行けなくなっていた(もちろん事件の現場が学校であった訳なので通えるほうが不思議だが)サトシさんに対しての学校側のサポートは、学校が終わってから手の空いた教師が帰りに寄っていた程度だったと当時中学校校長の岩田 信義氏は語る。その後、加害者は過程裁判にかけられる。被害者の父は裁判に参加したかったが、認められなかった。また当時の少年法では加害者が14歳であった為、刑事裁判にかけることはできなかった。その為、加害者は保護処分に終わり、医療少年院に送致された。その後この問題点がこの事件などを中心に再度考え直され、2000年衆院法務委員で少年法の年齢が引き下げるに至っている。この時の家庭裁判所の結果に父は「大人であればかなり厳しく罰せられるはずが、現行の少年法の元では、どうしようもない。日本は法治国家であるので当然法に従わざるを得ないが、その法を変える必要性を感じた。加害者は国の公費で作ったチームによって更正の道に向かう。しかし、被害者には一切の措置は取られていない。」と語っている。また被害者の兄サトシさんは、「なぜ加害者はあんな事をして社会的にやっていけるのか・・罪を償えると思っているとしたら傲慢でしかない」と語っている。ちなみに法律では、被害者には何の権限もなく、加害者は情報も、社会的にも守られる立場にあった。加害者のその後の出所に関する情報、理由すら分からない。情報公開はされていない。サトシさんは2005年の番組作成当時専門学校に通っている。「勉強は大事だと思ったが、コロコロと人の人生は変わる。だから勉強しようとも、あまり思わない。」とインタビューに答えている。漠然と自分の生きる道を探しているとの事。対照的に、加害者は7年の間に4つの資格を取得し、社会復帰の準備をしている。
7年経っても両親は淳君の墓参りを毎週欠かさない。サトシさんにとっての罪を償う意味とは「自分は弟を守れなかったことに罪を感じている。兄として、自分の中間テストの勉強を優先させ、あの日弟を1人で外に出してしまった事に罪を感じている。しかし“罪の意識が消えること”は同時に弟の思い出を忘れることになってしまうことになる。」との事である。少年Aのプライバシーは守られ被害者側には情報は殆どなかった。その中でこの事件の凶悪さ、特殊性から特例的に仮退院の日だけが被害者側に告げられた。 退院にあたって面接をした精神科医は加害者のことをまるで「壊れやすい 温室の花」と例え造られた人格の印象をえている。この時の少年Aの答えは「入院中に、精神科の先生と接しいろいろと話をし、心を学んだと思います」と答えている。サトシさんは専門学校卒業後、大学に入学、それまで参加していなかった犯罪被害者の会に参加している。息子の命を奪った犯人が、社会に戻ってきた。少年Aが仮退院した日、父は事件発生以来、初めての記者会見を開いて自分の考え、被害者の扱いに対する理不尽さを述べている。被害者の家族が、耐えに耐え抜いて得ることのできた、小さな成果である。犯人はその後少年院を正式に退院する。2001年改正少年法の施行で少年法の適応年齢が16歳から14歳に引き下げられている。しかし情報公開等、被害者にとっては不透明で不満足である部分が多い。前述の松本サリン事件の容疑者とされた河野さんは奥さんの澄子さんと共に犯罪被害者であり、犯罪被害者はマスコミの過剰な目にさらされ、家から出ることもできなくなっていた。それは驚異的なものである。ジャーナリストの吉岡 忍氏は8年ぶりに事件の象徴とも言える「タンク山」に戻っての感想を述べる「被害者が最後にどんな光景を見たのか?タンク山は現在も事件当時のまま残っているが事件自体も残っている。この事件で感じたことは、被害者は偶然である。しかし加害者は社会的背景から必然的に作られたのではないか。だから被害者には近づかず、加害者に焦点を合わせ、その背景を探ろうとした。」本番組でのレポーターは「加害者の7年と被害者の7年は大きく異なるそれは被害者の7年には納得のいかないことが多くあったからだ」と語っている。
その後犯罪者基本法が設立されたがこれも犯罪被害者にとっては十分に納得のいくものではない。
被害者の父マモルさんとサトシ君の言葉
マモルさん「加害者が自由の身になる事は釈然としない。加害者は教育を受け、自由の身になる。しかし息子の命は二度とは戻らない。」サトシ君「加害者の謝罪文は見たくもない。それは加害者本人にとっての許しでしかないと思う」
【総括】少年は大人と違い、前もって懲役の期限が決められてもいない。では何を持って、退院もしくは出所とするのか。それは少年の院内での態度や、引き受け保護者との関連である。例えば、16歳で事件を起こした場合のケースで考えると、17歳で仮退院が決まったとする。退院後20歳までは保護観察がつき、問題が無ければ、20歳ぐらいで正式退院となる。もし、成人の直前で事件を起こすと成人してからも少年院に入っているケースもある。本事件では関東医療少年院という比較的大きな疾病を持った加害者が入院し症状が良くなるのを確認し、東北少年院に送られ職業訓練を受けている。そして技能を身につけ退院している。また今回の放送ではジャーナリスト吉岡 忍氏によるコメントもあったが、氏のコメントはメディア寄りでかつ、客観的であり、事件に関しての取り扱いが軽々しすぎる印象を受けた。そのため、本篇の被害者に視点が置かれた番組の流れに対して違和感を感じた。
【今後の課題】今回、犯罪心理学では普段私たちが描いている被害者像と実際の被害者像の差について深く検証・考察できたと共に、その切実な事情についても詳しく知ることができた。なぜ、被害者なのに何の保障も、もしくはあったとしてもそれが十分でないのか、また少年法は何のためにあるのか?被害者に対する情報開示の不十分さ、国が行う保障や援助の不十分さ、マスメディアなどから受ける2次的被害などへの被害者の家族の苦悩、そして加害者への刑罰の軽さが浮き彫りとなった。1次被害、2次被害を受けている被害者、被害者の家族、もしくは遺族そして構成してゆく加害者。加害者にももちろん服役してからの苦悩はあるだろう。しかし何の理由もなく被害者や被害者の家族となった人々の苦悩は精神的、経済的、身体的、社会的に、計り知れないものがあった。法は加害者か為にあるのか?被害者の為にあるのか?裁かれているのは?。多くの疑問が残された。では私たちは今後どのようにすればよいのか。今回視聴した放送の中で被害者たちは自分一人が何か変えようとしても無駄だという意識から抜け出し地道な活動を続けそれが法改正にまで結びついている。私たちも今回このような放送から1人でもできることの意義を考え直しその大切さを考え、未来のためにできることを再認識したい。として前回、今回のレポートの締めくくりとしたいと思う。

最後に:1994年松本サリン事件で多大な被害を受け、200885日、お亡くなりになられた河野 澄子さんにご冥福をお祈りします。


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